世界の果てをつれて歩く

日常と幻想(笑)の間をうろうろしているどうしようもない人のブログ

茶色の冬とグラディエーターと昔はよかった

年末になかなかブログを書くことが出来なくて、気が付いたら新年になっていた、はてっこです。

昨年もこんな感じだったような気がします。こんなどうしようもないブログに遊びに来てくださるあなたに、深く感謝申し上げます。

いつもありがとうございます。

そして、本年もどうぞよろしくお願いいたします。🐏

 

 

 今年の冬というのは、しっかり寒いなと思います。ちゃんと冬が冬やってるかんじします。

 昨年書いたブログを漁っていたら、こんなのがありました。そういえば、昨年は暖冬でした。

hatecco.hatenablog.com

 

最近のニュースでは、各地で大雪の警戒をしましょうと言っていて、私の住む地域の天気予報でも雪マークがついていることがあるのですが、この私の住む地域というのがほんと、「雪が降らないところ」なんです。かといって温暖なところというわけではなく、最近の気温は最低気温がマイナス、最高気温も5℃くらいまでしか上がらないとかいう日が続いています。外を歩けば冷蔵庫の中にいるような冷たい空気ですが、灰色の空は「意地でも雪は降らせんぞ!」とでも言うかのように雨すらあまり降らず、ものすごい乾燥した空気です。

ということで冬、私の家の周りに広がる風景というのは、枯れ草や木の葉の落ちた木の茶色い色合いになります。場所によったら、「荒野」って感じにも見えてきます。

 

数年前、妹と紅葉のきれいな場所への旅行を計画したのですが、なかなかお互いの予定が合わず、やっと行く日が決まって結局行ったころには紅葉は終わってしまっていたなんてことがありました。それでもせっかくだから、ホテルでもらった周辺の散策コースの地図を見ながら静かな森を散歩しました。

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写真が出てきました

紅葉がきれいな木というのは、落葉樹なんですよね。紅葉のきれいな場所に紅葉が終わった時期に行くと、目の前に広がるのは落ち葉と葉の落ちた木が作り出す、茶色の風景でした。散策コースになっているから、道はある程度整備されているけれど、もしこのどこまで行っても茶色の景色の中にいきなり放り込まれたら、自分がどこにいるかわからなくなるだろうなと思いました。私の住むところの山の風景は、ところどころ杉やヒノキの林があって、冬でも葉のある緑の部分が遠くから見るとパッチワークのようになっているのです。だから、広葉樹の広がるその森は向こうの山まで茶色というのが、新鮮で面白かったのを思い出しました。冬には雪景色になるというこの場所の、短い貴重な一瞬を見られたのかもしれません。茶色の世界もなかなか素敵だと思った旅行でした。

 

 

 ところで、お正月はいかがお過ごしだったでしょうか。

私はどこにも行かないお正月でした。

出不精の私にとっては、ちょうどいいお正月だったかもしれません。

三が日のいつだったかに、だいぶ前に録画しておいた映画「グラディエーター」を何となくつけてみたら、いつの間にか見入っていました。

有名すぎて知っている人が多い作品だと思うので詳しいあらすじは書くまでもありませんね。大好きな映画です。主演のラッセルクロウがかっこいいっていう見どころなんかもあるのですが、見るたびに「なんで人間は生きてるんやろうか」とかまじめに考えている自分がいます。

剣闘士というのは古代ローマにおいて見世物として闘技会で戦った剣士。

 Wikipediaより

 映画のストーリーは史実ではないけれど、剣闘士というものは古代ローマに歴史上存在していたんですよね。 長いWikipediaの「剣闘士」のページを読んでいたら、必ずしも負けたら命を落とすというわけではなかった、というようなことが書いてありました。それでも、どちらにせよ死と隣り合わせであることには違いないよなと思います。

映画グラディエーターの中で、皇帝コモデゥスは主人公マキシマスをいかにして殺そうか画策します。なぜなら自分を愛してほしかった人が、マキシマスを愛したからです。マキシマスは大切なものを奪われ奴隷になりながらも、復讐を果たそうとします。そんなマキシマスにかつて自分も剣闘士であった剣闘士団長のプロキシモは「人生などはかないものだ。影と塵だ」という言葉をかけるのです。映画の最後、同じく剣闘士であるジュバの表情がなんともいえなくて、Now we are free というテーマソングが流れる中こみあげてくるものがあります。

 

となりで一緒に見ていた妹に、「この映画見てるとさ、なんで人間生きてるんやろって思わへん?」と言ってみたら、「自分でなんで生きてるか決めてもいいんじゃないかと思うよ」というなんかすごい答えが返ってきました。

それから色々ああだこうだ映画についてだらだらしゃべっていたら、「なんかさ、昔見た映画見返すとやっぱりいいなと思うよね」という話になって、そのあと「・・・・こうやって『昔はよかった』とか言うようになるんだろう」という話になりました(笑)

 

なぜ年を取ると昔はよかったというようになるのか?

長く生きれば生きるほど心動かされた映画というものは増えていって、もう入りきらんくなるんじゃないか、というのが私の意見。妹は、なんでも吸収しようとする心が純粋なとき(10代とか)に見た映画というのはよく残ってる気がする、という意見です。それもわかる気がします。

昔見た映画、色々見てみようかな。

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チランジア イオナンタのつぼみが出てきました。寒いからかなかなか咲かないけど。なんともいえないかわいらしさです。

 

 

本日も読んでくださってありがとうございました。(^^)/