世界の果てをつれて歩く

日常と幻想(笑)の間をうろうろしているどうしようもない人のブログ

山奥の植物

私の通った高校は山際にあり、少し高いところにありました。夕方になると、田舎の町でも窓から見下ろすと見える夜景はきれいだと思っていました。
授業中、ぼんやりと窓を見るとそこにはいつも緑の山があります。よーく見ているとぽつんぽつんと小さな鉄塔が見えるのを数えたり、夕方になるといつもチカチカ光る何かの光があったり。気が付けば窓から外を眺めてボーッとしてしまうのでした。

外を眺めながらよく思っていたのは、
「あの山の中の誰も来ないような山奥の苔の上に生えている小さい芽になりたい。」
でした。
「小さい芽」は花の時もあったし、木の時もあったし、草のときもありました。
少ししてから、どこかで読んだどなたかの、本だったか、ブログだったか、Twitterだったかに同じことが書いてあるのを読んだことがありました。(いつものことながら詳細は忘れました。いいかげんですいません(^^;)
「山奥にひっそりと咲く花になりたい。」のような一文だったと思います。
それを読んで(私の事だ!)と思いました。



私は植物が好きです。
子供の時、庭にうずくまって、咲いている花をジーっと見ていたのを覚えています。
チューリップが開いていく瞬間を見ようと座っていたこともありました。あのとき、黄色いチューリップの花びらが、本当に開いていく瞬間を見たような記憶があるのですが、あれは本当の記憶だったのか・・・。

今「チランジア」が好きで育てていますが、成長は結構ゆっくりめです。でもよく見ると脇芽が出ていたり、葉が大きくなったりしていて確実に成長している姿を見つけては、わあ、と思います。
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フクシーグラシリスです。



チランジアは主に中南米が原産だそうです。



ここは中南米の森。
私は苔むした岩の上にくっついている。
今日は久しぶりに雨が降った。
体に生えた細かいうぶ毛が水分を集める。
心地よい風が吹いてきた。
そして生き生きと葉を伸ばす。

そんなふうにチランジアを眺めながら、同じ仲間がいる森に思いをはせたりして・・・。いや、目の前にいるチランジアが森での姿を見せてくれているのかなと思うのです。




昨日だったかNHKスペシャルアウラ 未知のイゾラド」を見たのですが色々考える内容でした。
アマゾンの民家に現れた先住民の男性二人。
二人の話す言葉は誰も理解できない言葉でした。
時がたって一人が亡くなりひとりぼっちになった男性「アウラ」。その名前も呼び名で本当の名前はわからないのです。彼の話す言葉が解るのは、言語学者の男性一人だけで、しかも単語が途切れ途切れに解るのみです。

こうやってブログを書いているのは、読めば何を言いたいかわかってもらえるからなのだなと思います。私の言葉のすべて理解されなくても、誰も来てくれなくても、意味がわからないって思われても、理解されなくても、「日本語」がわかる人がいて、私は「日本語」が書けて、私の言葉を読んでくれるかもしれない。私が話した言葉は、書いた言葉は、意味を理解される。
そうでなかったらと思うと、
私には想像できない世界でした。


今日も来てくださりありがとう( ´ー`)